恫喝・脅しでコントロールされ続けた日々
二年前に入社し、その一年後に退職した職場で、上司による暴力を受けていました。
入社してひと月後くらいだったか、業務上の失敗をした部下に対し、突然上司がキレたのを見たのが最初です。
「○○(部下の名前)、てめぇ俺をナメてんのか、おい! ぶっ殺すぞ! こっち来い! 立て!」
他のスタッフの前で部下を立たせ、長時間に渡って浴びせる言葉は、テレビで見るヤクザそのものでした。それまで、温和で度々ジョークも飛ばすフレンドリーな上司だと思っていたわたしは震え上がってしまい、それが不当なことと十分分かっていながら、「やめろ」と言うことができませんでした。
後から同僚に尋ねると、上司のこの恫喝は日常茶飯事で、実はわたしが入社した直後にも度々行われていましたが、新人のわたしには見せたくなかったようで、わたしが研修などで外出中に行っていたのだそうです。
職場の構成を簡単に説明します。
本社は、神田(最寄駅:秋葉原)にある「S電機株式会社(仮名)」。社員100名ほどの会社です。その中のIT事業部が独立し、「HLS株式会社(仮名)」というネットショップを立ち上げていました。
現場は、その「HLS」であり、パワハラ加害上司は、そこの責任者Mという男です。
スタッフは、事務系の男性2名、サイト運営・制作者がわたしを含めて4名、経理のパート女性1名、という構成でした。
1度やってしまえばもう歯止めはなく、Mの恫喝は当たり前のようにわたしの前で行われるようになりました。それでもまだ新人には遠慮があるのか、わたしとわたしと同期の男性は、ターゲットにはなりませんでした。
しかし、いくらターゲットではないにしろ、目の前で行われるヤクザのような凄まじい恫喝は、遠まわしにわたしたち全員を脅すものでした。
「お前らをクビにするのなんか簡単なんだからな」
恫喝中の決まり文句でした。
スタッフの中に、特別酷いいじめを受けている女性がいました。わたしと同じサイト運営・制作を担当していた女性です。
彼女への恫喝は、時に暴力も加わっていたそうです。実際ケガをしたことはなかったそうですが、椅子を投げつけられたり殴りかかる真似をされたりしたこともあり、ショックで過呼吸の発作を起こしたことも、わたしが知る限り2度あります。発作のあとはいつも、数日休んでいました。
彼女の受けた被害はそれだけでなく、日常的に昼の弁当を買いに行かされたり、会社の懇親会の費用立替を強要されたり、個人的な使い走り(クリーニングの引き取り、ヤフオク落札品の入金など)をさせられるなどがありました。
中でも酷かったのは、経理のパート女性が退職したあと、嫌がる彼女に無理やり経理業務を押し付けたことです。
彼女はわたしと同じ、サイトの制作者として採用された人です。これまでも制作系の仕事しかしたことがなく、当然経理の経験などありません。「できません」と言っている彼女に強制的に経理業務を命じ、できないと激しい恫喝です。そのあまりに凄まじい怒声に、隣の部屋だった本社「S株式会社」の営業部から別の上司が飛んできて、止めに入ったほどでした。止めてもらえなければ殴られていたと思うと、彼女はあとから言っていました。
そんなことが続いて一年が過ぎた頃、とうとうわたしとわたしの同期の男性にも、Mの理不尽な怒りの矛先が巡ってきました。
詳しい理由は忘れてしまいましたが、どうということのない些細なことでした。少なくとも、公衆の面前で「てめぇ」と呼ばれ、汚いものでも見るように睨みつけられながら激しい怒声で脅され、屈辱的な言葉を受けなくてはならないような不始末では、決してありませんでした。
慣れていたとは言え、初めて自分自身に向けられたこの事態にわたしは恐怖し、激しく傷つきました。
この恐ろしい経験を2度としたくないという思いから退職を決意しましたが、直接の上司であるMと1対1で話すことは怖く、わたしは直接社長室へその旨を伝えに行きました。するとまだ理由を言わないうちから「ああ、Mがキレたか」と社長が言いました。会社は知っているのです。Mのパワーハラスメント行為を知っていて、これまでにその理由で何人もの社員が辞めたことも知っていて、何の対処もせず、放置していたのです。
「まあさ、Mには俺から十分注意しておくから、もう一度よく考えて」
わたしが入社して以来たった一年間で、一体何度の恫喝騒ぎがあったと思っているのでしょうか。注意をしても改善されないのに何も罰を与えないということは、放置しているということです。
翌日、Mに呼び出されました。廊下で2人きりになるのさえ恐ろしく、名前を呼ばれただけで逃げようと腰を浮かしてしまうわたしの様子を察知したのか、会議室ではなく近所の喫茶店で話そうと言ってきました。
喫茶店に行くと、いきなり平謝りです。反省していると頭を下げ、自らの体験や経歴からこのような態度に出てしまうのだと言い訳を言い連ね、しまいにはわたしに出世の餌まで持ち出して引止めるのです。
「他の客からは、三行半を叩きつけた妻と復縁を求める夫に見えるだろうな」
そんなことを考えて、ドメスティックバイオレンスの被害者が、逃げても復縁してしまう構図が見えたような気がしました。そのときのMは、本当に別人のように弱々しく、まるで自分が被害者のように小さくなり、ペコペコしながら慈愛を見せつけてくるのです。
わたしは何度か、いつもターゲットになっていた同僚たちが時折Mに褒められて異様なほど喜ぶ場面を見ています。大した内容でもないのに、いつもビクビクしている分、些細な「優しさ」がとてつもない「ご褒美」に見えてしまうのでしょう。
そんな様子を客観視してきたので、目の前で頭をテーブルに擦り付けているMに対して、わたしは少しも気持ちが揺れることはありませんでした。
こうして、わたしはこの会社を退職しました。
それから半年後くらいでしょうか、用事があって秋葉原に行くことがありました。それも電気街の方ではなく、退職した会社のあった昭和通り口の方でした。日比谷線からJRに乗り換える、たった数分の通り抜けだけでした。
それなのに、動悸が激しくなり、胸がいっぱいになって、電車に乗った途端に涙が溢れてきました。
その後にも1度、同じ経験をし、以来そこは避けるようにしています。
辞めてから一年経った今でも、わたしはあの街に行くことができません。
最も酷い被害を受けていた女性は、わたしが辞める少し前に解雇されました。理不尽な解雇です。労働基準監督署なり民間の組合やNPOなりに相談するよう言いましたが、彼女はそうしませんでした。そしてわたしも理不尽な理由で退職したことは自覚しながら、何も行動が起こせませんでした。
会社もMも、わたしの個人情報を知っています。わたしやわたしの実家の住所を知っています。ことを起こして次に何が起きるのか、想像してしまうのはネガティブなことばかりです。情けない話ですが、行動を起こせない理由は、「怖い」からです。
勇気を振り絞って出社し、勇気を振り絞って退職したところで、もう勇気は使い果たしました。
やっと逃れた「恐怖」に再び対峙するには、相当な時間が必要です。
あの会社で任されていたネットショップの運営、制作の仕事が好きでした。Mの暴力行為さえなければ、ずっと続けたい仕事でした。
それを思うと、今でも怒りがこみ上げてきます。
Mを、許せません。それを放置した会社も、許せません。
<東京都・岡部(パワハラネット管理者)>

